12.102019
実践ブラッシュアップ講座「知る・楽しむ 歌舞伎」を実施しました
11月8日、歌舞伎座ギャラリーで、実践ブラッシュアップ講座「知る・楽しむ歌舞伎」が開講されました。講師は、松竹株式会社常務取締役の岡崎哲也氏です。
幼少期から歌舞伎に親しみ、松竹入社後は制作プロデューサーや脚本家としても活躍されたという岡崎氏のご経歴と講談師のような語り口に「面白そうなお話が聞けそう!」と期待が膨らみ、ぐっと引き込まれてしまいました。
大きなスクリーンに資料映像が映し出され、416年におよぶ歌舞伎の歴史を振り返ることから講座はスタートしました。
女歌舞伎から野郎歌舞伎に
1603年に京都で出雲の巫女 阿国が「かぶき踊り」を踊ったのが歌舞伎の始まりというのは有名な話です。当時、女性中心の一座だった女歌舞伎が、現在のような成人男性だけで演じる「野郎歌舞伎」に変化した背景には、当時の社会情勢が大きく影響していたことを知りました。「歌舞伎は男性だけが演じるのが当たり前」と思っていましたので、何事も変化や進化の過程には、それなりの理由があるのだと改めて感じました。
江戸歌舞伎と上方歌舞伎
江戸歌舞伎と上方歌舞伎という言葉は聞いたことがありましたが、その違いについて詳しくは知りませんでした。江戸歌舞伎は「荒事」を得意とする市川團十郎の力強い様式的な演技が特徴です。一方、上方歌舞伎は「和事」と呼ばれる細やかな情愛を描く作品を得意とする坂田藤十郎が人気でした。江戸と上方では人気役者も異なり、また好まれる演目にも違いが見られます。男性の観客が圧倒的に多い江戸では豪快な「暫」や「助六」が大人気。商人が多い上方では、庶民生活に密着した物語や恋愛物・心中物に人気があったというのも納得です。
時代物と世話物
古典歌舞伎は「時代物」と「世話物」に大きく分けられ、その違いについても教えていただきました。「時代物」は設定を江戸時代より古い時代にして武家社会を描いたもので、それを江戸時代の衣装などで描いてしまう自由奔放さが面白いと思いました。
一方、「世話物」は当時の現代劇で、江戸庶民の生活を題材に描いたもの。かつて歌舞伎の興行は一日一狂言が原則の「通し狂言」でしたが、江戸後期になると「時代物」と「世話物」が分離され、わかりやすい脚本になったそうです。これも観客ファーストからの進化なのでしょう。幕末から明治にかけては、政治的な思想が演目にも影響を及ぼしたようです。薩長を中心とした新政府の敵は徳川でなく江戸の市民で、その市民を籠絡するために歌舞伎が利用されたという話は、とても興味深いものでした。
歌舞伎座の変遷
明治になって第1期歌舞伎座が誕生したのは1989年で、現在と同じ場所に建てられました。外観は洋風だったと知り驚きました。1911年に帝国劇場が登場し、それに対抗して第2期歌舞伎座は大改装され純和風の宮廷風になったというのは面白い話でした。
その第2期歌舞伎座は漏電が原因で焼失し、第3期歌舞伎座になります。建設中に関東大震災が起こり、工事は一時中断されますが1925年に奈良朝に桃山様式を併せた大殿堂の新歌舞伎座が開場。そして、時代は昭和へ。歌舞伎は黄金時代を迎えます。しかし1945年の東京大空襲で外郭を残して焼失。
第4期歌舞伎座は第3期のデザインを再現しながら、近代的な設備を取り入れ1951年に再建。そして2013年に現在の第5期歌舞伎座の開場となったわけです。歌舞伎座の歴史は、日本の明治から令和までの歴史と重なり、日本人と歌舞伎の関わりの深さを改めて感じました。
新歌舞伎へ
海外公演も盛んに行われ、歌舞伎の手法である花道・廻り舞台・見得・隈取などが、海外の演技や映画演出に影響を与えるようになってきたのは、日本人として嬉しいことです。また2009年に歌舞伎はユネスコの無形文化遺産に登録されました。今や歌舞伎の文化は日本だけのもではなくなり、歌舞伎座は多くの外国人観光客が訪れる人気スポットになっています。さらに近年は、新しい歌舞伎の形として「スーパー歌舞伎」も人気があります。また「こんぴら歌舞伎」や「平成中村座」など江戸歌舞伎への回顧からも目が離せません。
岡崎講師から楽しく歌舞伎の神髄を学び、また歌舞伎座ギャラリーでは舞台で実際に使う道具類に触れることができたことで、歌舞伎の創意工夫の奥深さを感じることができました。翌週には、実際に歌舞伎座で公演を鑑賞して、様々な側面から歌舞伎を堪能することができました。