6.212016
実践ブラッシュアップ講座「知る・楽しむ歌舞伎」を実施いたしました
2016年6月17日、実践ブラッシュアップ講座「知る・楽しむ歌舞伎」を歌舞伎座ギャラリー内の木挽町ホールにて実施いたしました。歌舞伎座での鑑賞がセットということともあって、昨年に引き続き首都圏以外からも多くの方にご参加いただきました。
講師は、松竹株式会社の常務取締役岡崎哲也氏です。岡崎様は、幼少の頃、歌舞伎に魅了され「観る」側として、そして松竹入社後は「作る」側として、計50年以上に渡り歌舞伎と関わっていらっしゃった方です。川崎哲男のペンネームで脚本も執筆されています。
さて、講座は、今日まで受け継がれる日本の伝統芸能「歌舞伎」400年の歴史と変遷について、岡崎様が臨場感たっぷりのお話で、多くの参考画像を使いながら楽しくナビゲートしてくださいました。
歌舞伎の起源は、江戸時代のスタートに重なります。1603年に京都で出雲の阿国が始めた「かぶき踊り」が大流行し、全国で阿国一座をまねた女歌舞伎が生まれます。しかし、約25年後には風俗の乱れを理由として女歌舞伎が、続いて十代の美少年が役者を務める若衆歌舞伎も幕府の命により禁止されてしまいます。しかし、歌舞伎は死なず…その後登場した「野郎歌舞伎」が現代まで続くルーツになります。
歌舞伎の誕生から80年あまり経って、時は元禄時代に移り、江戸では初代市川團十郎が力強い演技が特徴の「荒事」を、上方では坂田藤十郎が優美でリアルな演技の「和事」を始め、この時期の江戸の経済成長も相まって歌舞伎人気は1つのピークを迎えました。近松門左衛門が書いて人気を博した「心中物」というジャンルもこの時期に誕生しました。
それから、人形浄瑠璃の数々の名作を作った竹田出雲、並木千柳、三好松洛の3人が、歴史上の事件を題材にしながらも大胆で感動的なフィクションによって、多くの人気演目を書きました。「菅原伝授手習鑑」「仮名手本忠臣蔵」、そして今回の講座とセットで受講者の皆様にご覧いただく「義経千本桜」が三大名作と呼ばれます。また、荒事が流行する一方で、18世紀半ばになると、女方は舞踊の技をさらに洗練させ「京鹿子娘道成寺」などの舞踊が流行しました。
さらに江戸後期になると七代目市川團十郎が歌舞伎十八番を制定します。この中の1つ「勧進帳」は、現代に至るまでの人気もさることながら、当時は公家や武家など限られた支配階級の芸能であった「能」を歌舞伎化したという意味で記念碑的な意味を持つ作品でもあるそうです。
岡崎様のお話で印象に残ったのが、「歌舞伎は庶民文化の代表格のように言われることが多いですが、江戸時代の鑑賞料を現在の金額に直すといい席は10万円くらいの価値があったようで、とても庶民が頻繁に見に行けるようなものではなかった」という部分です。つまり、実際に歌舞伎を支えたのは、一般庶民というよりも、「町人」それも今で言う富裕層であったというご説明でした。士農工商の世の中にあって、形式的な身分では劣る町人が経済力で武士に対抗する意地、エネルギーが歌舞伎人気を支えてきた原動力だったのではないでしょうか。
ここらで一度休憩をとり、その間は歌舞伎で使われる小道具や舞台について岡崎様に解説していただきました。
休憩終了後、さらに時代は進み、幕末から明治にかけては、狂言作者(脚本作家)河竹黙阿弥が江戸歌舞伎の集大成として、七五調のセリフと盗賊を主人公とした一連の「白浪物」をヒットさせ、一方、演じる俳優の側にも明治の「劇聖」と言われた九代目市川團十郎、そして五代目尾上菊五郎といったケタ外れの演技力を持ったスターが活躍し、世の中が荒れた幕末以降の歌舞伎を支えました。
明治も後期になると、新歌舞伎という文壇の作家が歌舞伎を書く動きが進み、明治から大正、昭和にかけて坪内逍遥、岡本綺堂、真山青果らによる作品が生まれました。一方、明治28年には白井松次郎、大谷竹次郎の双子の兄弟が互いの名前から松と竹をとって「松竹」を創業しました。昭和になって、歌舞伎も旧ソヴィエト連邦などで海外公演を行うようになりましたが、戦争の時代に入り、世の中は演劇どころではなくなっていきました。
終戦後は、GHQが財閥解体を打ち出し、松竹が歌舞伎座の経営をすることも禁じられため歌舞伎座の再開も困難な状態になりました。そんな中、歌舞伎座の経営を株式会社歌舞伎座に分離し、都民劇場歌舞伎座として復活させるというある意味では奇策ともいえる妙案によって、歌舞伎座は1951年に再開することができました。これは当時の安井誠一郎初代東京都知事のアイデアであったとも伝えられています。
そして、現代では歌舞伎の世界が、地理的な意味でも演劇のスタイルとしてもどんどん広がって大きな発展を見せています。昨年、今年と大成功を収めたラスベガスでのプロジェクションマッピングによる動く背景を使った公演、そして人気漫画「ONE PIECE」の歌舞伎化など従来の枠にはまらない歌舞伎が話題になったことは皆様の記憶にも新しいと思います。
こうした動きも、歌舞伎が”伝統芸能”と認識されている今でこそ大変革のように感じてしまいますが、このたび岡崎様から歌舞伎400年の歴史を興行側の視点も交えて伺ったことによって、今までと異なった見方をするようになりました。それは、歌舞伎はその誕生からずっと進化、変化を続けてきたもので、広い視野で眺めたら、現代の「新しい歌舞伎」も大きな流れの中でその方向が少し変わった程度のことなのかもしれない、ということです。歌舞伎は、これからも「観る人」の好み、「演じる人」の才能、「創る人」のチャレンジなどの要素が絡みあって、ずっと進化を続けていくのではないかと感じました。